2015年11月4日水曜日

ハカナゲとむきあう

最近たまに「黒板アートですね!」と呼んでいただくことがあります。
1993年から職場の入り口に黒板を置き、描きはじめました。数年前に譲ってもらえないかと最初の黒板オーナーさんに声をかけていただくまで、なんと呼ぼうとも考えていませんでした。

煙という名の自然


出店の多い祭りのあとは、油を含んだ煙にいぶされて大きく質感を左右されます。




最初の一枚目をお譲りするにあたり、この作業の一連のシーケンスを何か簡単に呼べる名前はないかと日本語、英語、フランス語でインターネット検索したり、図書館で調べたりしました。チョークアートというカルチャーがすでにありましたが、クレパスに近い油を含んだチョークを使った絵はそのマテリアルの趣が別物でした。また卒業式や学園祭で描かれるケースはあっても、それに体系的な呼び名は無く、また継続的に描かれるという情報もみつけられませんでした。

人という名の自然

描いてあるの?触ってみたい!そういう衝動は花に虻や蝶が触るような出来事です。


しばらく私はそれを仮にチョーク黒板と呼んでいました。みなさんからは「白墨画のほうがいい」「チョークパウダーアートというのはどう?」などいろいろなご意見をいただいていました。みなさんありがとうございます。そういった思いがけないベクトルのご意見を耳にしながら、まずこれは私にとって大事にしたいものは何か考えました。すると次の3つが思い浮かびました。


  • 環境によってかわる肌としての黒板の板面状態。
  • 湿度によってかわるチョークの砕け感。
  • 紫外線や風によって劣化する黒板上のチョークパウダーのマテリアル。


描くということ

お仕事や趣味でお世話になっているメイクアップのプロの方と話していて、メイキャップの話しは黒板のことじゃないかと思うようことがありました。

また様々なストレスや環境によって一定には保てない儚(はかな)いものと向き合うということなのだと思うのです。

雨という名の自然

本通りには老朽化したアーケードがありますが雨漏りや吹き込みは自然にあります。


美術館やスタジオの中にある砂のお城と、波打ち際にある砂のお城のどちらが私の心を奪うのか。考えるまでもないのです。それは儚いから意味がる。みなさんからそう気づかせていただきました。

手入れするということ

お仕事で花屋さんと話しをさせていただく機会もあり、話していると花は刻々と状態を変えていく商品であり生き物なのだと知りました。いつもいい状態で店頭にあるには、自然の様々な状態変化から花を守ったり、従わせたりする目に見えない仕事があることを教えていただきました。それはプリザーブドやドライであっても同じことで、何十年も維持し続けられるものではないのです。うちの職場の玄関先に置かれたパブリックな黒板に限らず、家やオフィスで飾られたも、黒板を飾って付き合うというのはまるで生き物と付き合うような、儚さをめでるということなのだと思うのです。

だから私は、取り組んでいるこの黒板とチョークを用いた一連の創作と維持のシーケンスについてハカナ画と呼ぶことにしました。

ハカナ画と書いてハカナゲと読みます。ちょっとダサいですけど。今はそれがいちばんキタコレと思います。

土堂小学校の下校中のみんなからは「ハナゲ!?」「ちがうよハカナゲじゃない?ナがあるもん」と笑ってもらったりしています。それもなかなか愉快な気分です。
毎日ウォーキングで通りかかるみなさんや、通勤中にちらっとみていただくみなさんからお声がけいただくたびに、道端の花畑を手入れしているような気分にさせていただいています。

道端の花畑を手入れしているような気分。それがハカナゲとむきあう気持ちです。

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